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ウインザーノットとは、日本の競走馬・種牡馬である。馬名は「ウインザー公」として知られるイギリス国王・エドワード8世および同名のネクタイの結び方の名前が由来である。おもな勝ち鞍は函館記念(2回)。主戦騎手は柴田政人、田面木博公。半妹にスプライトパッサー(父:メイワパッサー、関屋記念勝ち)がいる。 ※馬齢は当時の基準である「数え年」にて表記する。 == 戦跡 == 既に日本でリーディングサイアーとして名を馳せていたパーソロンを父に、凱旋門賞・ヴェルメイユ賞を制した名牝・サンサンを母に持ち「超良血馬」であった。しかし1983年、4歳春にデビュー後、新馬戦・未勝利戦を4戦して1つも勝てず、クラシックには完全に無縁であった。 4歳11月の400万下(格上挑戦)でようやく初勝利するとここから快進撃が始まり、以降条件戦を3連勝。準オープンの身でありながら重賞の函館記念に挑戦、53キロという軽ハンデで勝利し、ようやく良血が開花した。陣営はこの年(1984年)から2000mに距離が短縮された天皇賞・秋に照準を充てたが、軽度の骨折が発覚して休養を余儀なくされた。 6歳の宝塚記念で復帰。3着となると、続く高松宮杯でも3着となり、続く函館記念は58.5キロのハンデや不良馬場をものともせず連覇を果たす。毎日王冠2着後に望んだ秋の天皇賞ではギャロップダイナ、シンボリルドルフ、ニホンピロウイナーと好勝負を演じるも3着、続くジャパンカップではまったくいいところなく15着に敗れ、以降は休養にあてた。 7歳になって、まず巴賞に出走しレコード勝ちし、セカイオー(鳴尾記念)以来の同一重賞3連覇のかかった函館記念は60.5キロという過酷なハンデもあって4着に敗れる(函館記念3連覇は後にエリモハリアーによって達成される)。毎日王冠4着後に出走した秋の天皇賞はレコード駆けのサクラユタカオーの2着に終わり、このレースをもって現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウインザーノット (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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